ピックル雑学

映画化してほしいピックルの父①

picklebouya

今回はピックルボールが上達しない、試合で緊張してしまう、と

思い悩んだ時に思い返してほしい話です。

我々は、まだまだ続く「映画」の一部分に携わっていると感じられる物語です。

大阪から情報発進中、私「ピックル坊や」が、このブログを始めたきっかけが、ピックルボールの起源を書いた書籍や詳細な説明の日本語サイトが、あまり見つからなかったからでした。

今回見つかりました! どうしてもすべて網羅しようとすると計4回分になりました。長いですが、ぜひお付き合いください。

あわせて読みたい
①ピックルボールの起源
①ピックルボールの起源

▶「Pickleball Channel」動画より

7万人近い登録者数がある有名チャンネルで40万回近く再生されている動画なので、ご存知だった方も日本にたくさんいるかもしれませんが、ピックルボール誕生50周年を記念して作られた9年前の動画です。私は初見でした。ここから多くを参考にさせていただきました。

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皆さんはピックルボールの創始者と言われる3人の名前をご存知でしょうか?

▶いずれも「Pickleball Hall of Fame」動画より

ほかにディック・ブラウン氏(Dick Brown)も「ピックルボール誕生の日」、その場にいたそうです。

冒頭の動画では、最後の生き証人となったマッカラム氏が、ピックルボールが生まれ、広がっていくまでの流れを実に詳細に語っています。

物語はワシントン州ベインブリッジ島から始まります。

シアトルの対岸にある人口2万人ほどの総面積169.7 km2の島で日本でいう小豆島や宮古島より少し大きいぐらいです。シアトルからフェリーで35分ほどで着くところです。

ベインブリッジ島

マッカラム氏は、1965年夏の、その島特有の典型的な悪天候、雨の日の土曜日の思い出を懐かしそうに振り返ります。

いつものように週末、浜辺の近隣4家族、マッカラム家、プリチャード家、ベル家、ブラウン家の4家族が集まっていました。

子どもたちが暇を持て余し、大人たちを困らせていました。

そこで、プリチャード氏が、そばにあった卓球ラケットとプラスチック製の野球ボール(子ども用のソフトボールぐらいの大きさ)を持ちました。そして

「バトミントンコートにでも行って、それをぶち回してこい!」と言ったそうです。

続けてマッカラム氏の息子、ディビッド氏が回顧します。

「大人たちがゴルフを終えて帰ってきましたが、子どもたちはすることがなくて落ち込んでいました」

先の話通り、家を追い出された子どもたち。大人に言われた通り裏庭で遊んでいました。が、しばらくすると、子どもたちの様子を心配した大人がやってきました。

そして楽しそうに遊ぶ子どもたちの姿を見たプリチャード氏とベル氏が、すぐにパドルとボールをいじり始めたそうです。

そして大人たちは「これは、面白いぞ!」となったのでしょう。

「子どもたちはすぐに追い出された」とマッカラム氏は笑って振り返ります。

そして翌日曜日から本格的なピックルボールのルール作りが始まったそうです。

まるで自分が経験したかのように、当時の光景がよみがえりますね。

映画の冒頭シーンのようです。

この夏の間、近所の人たちも交えてたくさんプレーしたそうです。通常なら、ただの楽しかったひと夏の思い出になるはずでしたが。。。。その楽しさは、周囲の人々の脳裏に焼付き、

ひと夏で、忘れ去られてしまうようなものではなかったのです。

次回はピックルボールのルールがどうやって作られていったかのエピソードです。

第2回はこちらへ
映画化してほしいピックルの父②
映画化してほしいピックルの父②
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勝手に広めるンルン
大阪府生まれ。大学までテニス部。大阪から情報発信
ピックルに目覚め、ルンルン楽しく上手くなれるのか検証中
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