犬かボート由来かついに決着?

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そもそも、このサイト立ち上げ当初から、ピックルボールの名前の由来は2つあると、お伝えしてきました。犬の名前からか、ピクルボートと呼ばれる用語からか、です。

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①ピックルボールの起源
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最近「映画化してほしいピックルの父」の題目で、ピックルボール創設者3人の話をご紹介しました。その際に、晩年のバーニー・マッカラム氏(Barney McCallum)が、ピックルボールの名前の由来の話を聞かれて「ドック!」と答えているという話を、物語のエピローグとして書きました。

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映画化してほしいピックルの父④
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犬の名前由来の方が「素敵」と、その時は深くは掘り下げないでいたのですが、このどっちが正しい論争が、いよいよ決着したようなので、ご報告させていただきます。

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2つの説おさらい

ピックルボールは1965年夏にベインブリッジ島で誕生しました。詳細は先ほどの「ピックルの父」の物語を読んでほしいのですが、まだお読みいただいていない方もいらっしゃると思いますので、2つの有力な説の内容を改めてご説明します。

1つは犬の名前「ピクルス」から付いたというもの。

犬を迎え入れたの際、創設者ジョエル・プリチャード氏(Joel Pritchard)の娘、バーニーさんと、友人家族のディック・ブラウン氏(Dick Brown)の息子、ポールさんは10歳でした。家の近所で野良犬の群れを見つけ2匹の子犬を、それぞれ持って帰りました。

プリチャード家の犬は「ピクルス」、ブラウン家の犬は「ルル」と名付けられました。2匹は双子で犬種はコッカプー(アメリカンコッカースパニエルとトイプードルのミックス犬)だったそうです。

ピクルスはピックルボールのプレー中、茂みの中に飛んでいくボールをつかむのが大好きでした。

もう1つは「ボート用語由来説」です。

ジョエル・プリチャード氏の奥さんのジョーンさんは、オハイオ州のマリエッタ大学出身でした。当時全米でも有数のレガッタボート強豪校で、ジョーンさんは、そのチームの熱烈なファンだったそうです。シアトルに移り住んだ後も、マリエッタ大学のチームを応援していました。

レギュラーメンバーから漏れた選手たちは、自動的に「寄せ集め」チームになります。このメンバーが乗るボートのことを、ピクルボートと呼んでいたそうです。ボート観戦に熱心な奥さんは、娯楽目的のレースしか戦えないメンバーたちにも愛着を持っていたのでしょう。

テニス、バドミントン、卓球の、それぞれの「残り物」を組み合わせた点がピッタリと「ピクルボート」のイメージと重なり、「ピクルボール」と名付けたそうです。のちにこれが「ピックルボール」となりました。競技が誕生してすぐ、少なくとも1965年には、こう呼んでいたということです。

ウケ狙いが本当の話に

一貫してボート説を唱えてきたUSAピックルボール公式サイトに明確な記述がありました。

1969年から1970年代初頭にかけてのある時期、政治家でもあったピックルボール創設者ジョエル・プリチャード氏は、ピックルボールを大々的に宣伝しようとしていた全国紙の記者からインタビューを受けました。その際、妻のジョーンさんも同席しており、名前の由来の訳を聞かれると、まず最初に「妻が考えたボート用語から来ている」と答えたそうです。

しかし、その後、もう1つのユニークな話として、犬の名前から名付けたというのもある、と付け加えたようなのです。実際に「ピクルス」を家で飼うことになったのは、ピックルボール誕生の1965年より3年後、1968年ではないか、という説が濃厚だそうです。

記者は少し間を置いてから「犬の話のほうがかわいくて印象に残るし、本当の話は読者にとってちょっと長すぎるから、犬の話にしよう」と言ったそうです。

この全国紙に載った話が「作られた真実」として広がっていったのでしょう。

実際を知るベインブリッジ島の仲間たちは、この曲げられた由来を快く思わなかったようです。プリチャード氏に問いただすと

「心配するな、ただの面白い話だ。絶対に記憶に残らないだろう」と答えたそうです。

いやいや、実際、今の我々の記憶に残りまくってるんですけど(笑)。

その後、プリチャード議員が、この一連の新聞記者とのやり取りが事実であると認める発言が、ワシントン州議会の議事録に残っているそうです。

ただのリップサービスのつもりが、いやはや、大変な騒ぎになりましたね。

どうして2つの説が?

とはいえ、

生前のマッカラム氏と、その息子ディビッド氏は「犬由来説」を主張し続けていました。

プリチャード氏と一旦、口裏合わせしたことを守ったのか、実際にピクルボートの話が出た際には、プリチャード家のメンバーしかいなかったそうなので、単に知らなかっただけかは、分かりません。

しかしながら、亡くなるまでマッカラム氏が「犬由来説」を信じて疑わなかったことだけは確かなようです。

マッカラム氏の発言が「犬由来説」の唯一の根拠と言えるものでしたが、最近になってボート説を裏付ける「決定打」と呼べる発言がありました。

あるイベントに出席したプリチャード氏の息子、フランクさんの証言動画です。命名当時、彼は13歳。キッチリとした記憶がある年齢です。母ジョーンさんが、ボートクルー用語から思い付いたと明言しています。

▶「The Kitchen」動画より

別の取材では「この競技に名前を付けたのは母だと強く思っています。これはピクルボールの歴史における母の功績の一部であり、これまで母は十分に評価されてこなかった」と語っているようです。

さて真実はどう語り継がれるか

私も長らくスポーツ新聞記者をしていましたから、こういう真実を歪曲する場面には、よく遭遇してきました。「ボート由来説」で、もう間違いないと感じますが、それでも、身近な友人に説明する際は「犬由来説」もあるよ、と付け加えるほうがロマンチックに感じますよね。

今度から私は「名前の由来1つでアメリカ中を揺るがす大騒動になったぐらい、すごい人気沸騰の新スポーツ」と説明することにしよう、と思います。

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ピックル坊や
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勝手に広めるンルン
大阪府生まれ。大学までテニス部。大阪から情報発信
ピックルに目覚め、ルンルン楽しく上手くなれるのか検証中
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