ピックル雑学

映画化してほしいピックルの父②

picklebouya

ピックルボール父の物語の続き第2回です。第1回目をお読みでない方はぜひ下のリンクを先にお読みください。

第1回はこちらから
映画化してほしいピックルの父①
映画化してほしいピックルの父①
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バーニー・マッカラム氏(Barney McCallum)の回顧インタビューは続きます。1965年7月か8月の土曜日。雨で不満げな子どもたちを、外に追い出したのをきっかけに、偶然「産声」を上げたピックルボール。

翌日曜日、プリチャード氏、ベル氏の話に、朝寝坊してきたマッカラム氏が加わります。

大人たちは興奮状態ながら真剣そのものです。

ルールはその都度、その都度、3人の楽しそうな会話の中で、生まれていきました。

下の動画を参考にさせていただいています。

▶「Pickleball Channel」動画より

「採点の仕方については大きな議論があった」とマッカラム氏は言います。

「卓球からバドミントンにテニスまで、思いついたものを全部試してみた」

最初からこうしようと決めたわけではなく、すべて試して、一番ゲーム性が高く、面白いと思ったものこそ、現在の11点サイドアウト制だったようです。

さてピックルボール最大の面白みの一つ、ノンボレーゾーンの誕生秘話です。この3人の話に入っていない、もう1家族の大人、ディック・ブラウン氏(Dick Brown)の、少々荒々しいプレーがきっかけでした。

ディック・ブラウン氏は高身長で193センチ。プレーも攻撃的だったそうです。

マッカラム氏の息子、ディビッド氏は楽しそうに回顧します。

「ブラウン氏はネットまで走っていって、ボールをスパイクしました」

これに対抗しようと、バドミントンコートにあったサービスラインを見て、他の大人たちは言ったそうです。

「おい、空中で打ちたければ、あのラインの後ろに立たないといけないぞ!」

何を隠そう、これがノンボレーゾーンの始まりだそうです。

光景が、その場にいたかのように浮かんできて笑ってしまいますね。

次はネットの高さです。最初はバトミントンの高さのまま遊んでいたそうですが、徐々に下げられ、ネットの高さは36インチに設定されました。

マッカラム氏の息子、ディビッド氏は証言します。

「(プリチャード氏の息子)ジョエルの腰の高さだったから」

ネットがたるんだり誰かが触って高さが変わってしまうと、試合を始める前、ジョエル氏がネットまで歩いて行って、腰の高さかどうか確認したそうです。

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「子どもの腰」が理由なんて、話が出来すぎてると思いましたが、単なる逸話ではなく、本当の話だったのですね。

ここからは2011年、今から14年前の、別の動画でのマッカラム氏の証言です。

ピックルボールのドロップサーブはその昔、片足がベースラインより後ろにあれば、もう片方はまたいでもいいというルールだったようです。なぜそうなったのかを問われたマッカラム氏は、苦笑いしてこう答えます。

「物理的なコート設備の問題でした」

▶「Norm Davis」動画より

そして当時のコートが映し出されます。ベースラインのすぐ後ろにマドローナと呼ばれる北アメリカ西部特有の大きな木が生えています。

子どもなら問題なさそうですが、背の高い大人が両足をベースライン後ろに配置して打とうとすると、バックスイングで木に当たってしまいます。ですので、片足を中に入れていい、としたそうです。

てっきり小さな子どもたちが、少しでも簡単に打てるように配慮したと思っていたのですが、手が子どもより長い「大人の都合」だったとは。。。。。笑えます。

夏が終わりしばらく4家族で過ごす時間が空いても、ピックルボールの父たち3人は、それぞれがゲームついて考えていたそうです。

おそらく電話連絡で話を続けたのでしょう。サーブ&ボレーしてしまうと、面白くないと、ひと夏終えた後、ツーバウンドルールが生まれたそうです。

シアトルに戻ったマッカラム氏は荒れた道路で冬の間、実際にプレーして試行錯誤したそうです。そもそも3人のルール作りのポリシーは一致していました。

「前提として、家族全員がプレーに参加できるように考えました」

3人全員が、このルールで、きっとうまくいくと確信した理由として、マッカラム氏はこう答えています。

「大柄な人間や力強い人間がゲームを支配するという考えに抵抗してきた」

「議論するのではなく、ただ楽しみたかった」

まさに、現代の今、私たちが感じている「ピックルボールの魅力」「ピックルボールの精神」そのものではないでしょうか?

次回はパドル誕生秘話と、ピックルボールのの予想外の広がりについて、です。

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大阪府生まれ。大学までテニス部。大阪から情報発信
ピックルに目覚め、ルンルン楽しく上手くなれるのか検証中
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